☆この記事はこのような人におすすめです。
・渡瀬恒彦さんの喧嘩伝説を知りたい。
・渡瀬恒彦さんとテニスプレーヤーの錦織圭が親戚だったという噂について知りたい。
・渡瀬恒彦さんの死因・胆のうがんについて知りたい。
2015年から胆のうがんで闘病中だった俳優の渡瀬恒彦さんは、2017年3月14日、東京都内の病院で他界されました。享年72歳。
事務所は死因を多臓器不全と発表。
報道によると、渡瀬恒彦さんは2月の中ごろ、左肺に気胸を発症して入院し、3月2日に行われた出演ドラマ「そして誰もいなくなった」の制作発表を欠席していたようです。
当初、関係者は欠席の理由を「スケジュールの都合」と説明。
その後、渡瀬恒彦さんは3月に入り、敗血症を併発。
懸命な治療もかなわず、14日、多臓器不全により死去したのです。
なお、葬儀・告別式は近親者のみで営む予定で、喪主には妻・い保(いほ)さんが務めたようです。
また、渡瀬恒彦さんには2人の子供がいて、2020年8月10日に他界した渡哲也さん(享年78)とは実の兄弟。
島根県出身の渡瀬兄弟と、男子テニスの錦織圭選手は親戚にあたるそうです。
そんな渡瀬恒彦さんは、兄の渡哲也さんとはまた違った魅力で人気を誇ったスター俳優でした。
兄の渡哲也さんが「喧嘩も勉強も弟のほうが上だった」というように、運動神経がよい渡瀬恒彦さんは、危険なアクションシーンでもスタントマンに任せず、積極的に自ら挑んだといいます。
プライベートでも空手二段の渡瀬恒彦さんは、「芸能界で喧嘩最強」と言われ、これまた数々の伝説を残しているのです。
渡瀬恒彦の喧嘩伝説は舘ひろしを絞めた?
空手二段の渡瀬恒彦さんは、運動神経がよく、危険なアクションシーンにも自ら挑んだといいます。
そのため怪我を負うことはしょっちゅうあったといい、中でもジープの下敷きになり、片足を失いかけるほどの大怪我を負ったこともあったそうです。
また、「芸能界で喧嘩最強」との呼び声が高かったとか。
喧嘩の伝説は事欠かず、噂によれば、「生意気な若手俳優を懲らしめた」、「舘ひろしらクールスのメンバーを川に投げ捨てた」などの逸話がまことしやかに残っています。
他にも安岡力也氏や岩城滉一を「ボコボコ」にしたとか、ガッツ石松に「恒さんに比べるとたいしたこと無い」と言わしめるほど喧嘩が強かったそう。
生前の渡瀬恒彦さんは、舘ひろしや安岡力也氏といった数々の喧嘩自慢とやりあって、勝った。
そんな喧嘩最強伝説を世に残した渡瀬恒彦さん。
結局、最後は自分の病気だけには勝てませんでした。
ですが、なぜ渡瀬恒彦さんは、そんなに喧嘩が強かったのでしょうか?
高校時代は柔道をやっていたという渡瀬恒彦さんは、大学では空手やボクシングで体を鍛え抜いたといいます。
そのおかげで腕っぷしは芸能界最強といわれ、おまけに実戦タイプだったとか。
その証拠に、同世代だった松方弘樹氏や梅宮辰夫氏といった喧嘩の強い強面役者でさえ、「恒彦とは喧嘩しない」と漏らしたそうです。
また、これまで数々の喧嘩伝説を築き上げてきたといわれている渡瀬恒彦さんは、こんな武勇伝も残っているといいます。
それは皆で飲んでいる時に、ガラの悪い連中がからんできたそう。
そのとき渡瀬恒彦さんは、『お客さんの飲んでるところで、迷惑かけますから。そちらの方、ちょっと、表に出ていただけますか?』と連中に優しく語りかけたといいます。
そして一緒に飲んでいた連中には、『お前ら、ここで待ってろ』と言って1人で相手をしに行ったとか。
するとしばらくたって、渡瀬恒彦さんはちょっと着崩れた感じで戻ってきて、『もう終わったから大丈夫』と。
絶対に相手の雰囲気からして話だけで済む感じではなかったので、一緒に飲んでいた人は「パンパーンっと片付けたのだろう」と思ったそうです。
こうして渡瀬恒彦さんの「喧嘩最強伝説」は、今も語り継がれているということです。
渡瀬恒彦と錦織圭は親戚
渡瀬恒彦さんと男子テニスの錦織圭選手は親戚だそうです。
この話は、錦織選手の母方の親せき筋から渡哲也さんが社長を務める石原プロモーションに手紙が届いたことで知ったのだとか。
その手紙には簡単な家系図が添えてあったといい、渡瀬恒彦さんの祖母と、錦織選手の曽祖父がきょうだいにあたることが説明されていたそうです。
同じ島根県出身の錦織圭選手が遠い親戚にあたることを手紙で知ったようなのですが、渡瀬恒彦さんは手紙の送り主と面識がなかった。
なので、なかなか実感がわかなかったらしく、兄弟2人ともその真実を知らなかったといいます。
当時の話では、錦織選手には渡哲也さんと渡瀬恒彦さんが親せきにあたることは伝えられていなかったそうです。
しかし、今になっては報道されたため、親戚ということは知っているということです。
渡瀬恒彦の死因の多臓器不全とは?
渡瀬恒彦さんは、2015年夏ごろに体調不良を訴え、都内の大学病院に入院。
検査の結果、胆のうに悪性腫瘍が見つかったのです。
その後は5カ月間、仕事を休養。
抗がん剤の投与と放射線治療を受けながら少しずつ仕事復帰を果たしたのですが、がんとの闘いは一進一退を繰り返すばかり。
完治せず、入退院を繰り返していたそうです。
そんな渡瀬恒彦さんは、これまでマスコミの取材に対しても闘病中であることを告白していました。
昨夏には20年以上にわたって演じた「十津川警部」を降板。
「捜査一課9係」は昨年のシーズン11に出演していましたが、4月の新シリーズの撮影を前に力尽きたのです。
事務所によりますと、2月中ごろ左肺に気胸を発症し入院。
3月に入ると今度は敗血症を併発したといいます。
死因は「多臓器不全」だったと発表されたのですが、この多臓器不全とは一体どのような病気なのでしょうか?
多臓器不全とは文字通り、臓器がうまく機能しなくなることを「多臓器不全」と言う。
一つの臓器だけでなく「多臓器不全」になってしまい、その状態が長く続くと死亡率が高くなってしまう病気です。
渡瀬恒彦さんの場合、末期の胆のうがんと左肺の気胸からの合併症が、死因となった多臓器不全を引き起したと考えられています。